「イエス・キリストを深く知る(フィリピ書3:1-11)
(イエス・キリストを知る③)
今年の教会標語聖句「主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさ」をさらに学びましょう。本日は3回目。「イエス・キリストを深く知る」というタイトルなのに、どうしてパウロの話なのでしょうか。パウロを学ぶのは、イエス・キリストを深く知るためです。
パウロはユダヤ人で熱心なパリサイ派でした。キリスト教徒を迫害、弾圧していました。そのパウロがダマスコ途上で、衝撃的な出来事があり、そのことにより劇的に信仰・価値観などが変えられたのです。それは復活のイエス・キリストとの決定的な出会いでありました。パウロにとってイエス・キリストを知るとは、復活のイエス・キリストとの出会いであり、そのイエスを愛することであり、「そのイエスを信じることが救いである」という信仰でありました。
このところからある牧師から厳しく教えられます。
①「主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさ」(8)にパウロは驚嘆していますが、私たちはなんと無関心・無感動でしょうか。私たちの価値観が変わらないのはなぜでしょうか。
②パウロはこの世における自分の有利に思える状況((お金、財産、名誉、学歴、能力、実績、友人…)(5-6)を「塵あくた」(排泄物)ととらえたのに、私たちは人生・生活が少しでもプラスになるように、なぜ塵あくたを求めているのでしょうか。「肉に頼る信仰」「人間の肉によって救いを得ようとする信仰」(4)を大切にしているからでしょうか。
③パウロは「キリストのゆえにすべてを損失と見なした」(7)のに、私たちは、キリストを信じながら、なんとかその一部でも手に入れたいと、物欲しげに求めているのではないでしょうか。
(1/28 山本師説教)