「わたしの主、わたしの神よ(ヨハネ書20:24-29)
(イエス・キリストを知る④)
「イエス・キリストを知る」の4回目です。
私たちはパウロの残した「キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさ」という信仰告白を学んでいます。どうしてイエス・キリストを知ることが、「特権」であり、「特別の恵み」であり、「絶大な価値」といえるのでしょうか。
本日の聖書箇所から、「キリスト・イエスを知る」ことは、「人格的な主イエスとの出会い」であり、究極的な意味では、「復活されたイエスに出会う」こと、「圧倒的に臨在するイエスの前に立つ」ことであることを教えられます。
トマスは、「他の弟子たちが、復活のイエス・キリストを見た」と言っても、疑った人物として知られています。主の復活に対して「自分の目で見て確認しなければ」と懐疑的な立場を取っていました。そもそも信仰とは疑いを持たないことではありません。自分の疑問や疑いを率直に神とイエスさまに「主よ、なぜなのでしょう」と問いかけることも大切です
その後、トマスは復活のイエスに出会い、声をかけられ、そのあまりの感激に(すばらしさに)、ひれ伏して、心からなる信仰告白を捧げたのです。「わたしの主、わたしの神よ」との告白は、キリスト教信仰の核心であると言えます。
「わたしの」という言葉が大切です。「彼のため」、「彼女のため」ではなく、この「わたしのため」に、ご自身の命を捨ててくださった(ガラテヤ2:19、20)「主イエス・キリスト」を、あがめ信じる告白だからです。
今、私たちも、「わたしの主、わたしの神よ」と告白し続けましょう。(2/4 山本師説教)