ハロウィンの扱いについて
川﨑 信二
キリスト教の聖書信仰とハロウィンの思想とは全く相容れないもので、取り扱いにはある程度の注意が必要です。
それでもパウロは「信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。」(ローマ14;1-3)と述べています。
ハロウィンを悪魔的なものとして祝うべきではないという教派がある一方で、何も問題はないという教会もあります。私は個人的には「単なる遊び」と考えていますが注意は必要だと思っています。一般の人はキリスト教の祭りだと勘違いしている方が意外と多く、それ故に気をつけたいと思うのです。
キリスト教国と言われているアメリカで民間行事として定着しているために誤解されやすいのです。更に毎年10月31日に行われるのがカトリックの死者を覚えるミサ(11月1日)の前夜祭に位置付けられているためです。これを宗教的な意味合いはないと考えるならば何の問題もありませんが、やはり「魔女狩り」「悪霊」「ゾンビ」など死後の捉え方は聖書とは違います。
元々は古代ケルト人の祭りが起源だとされ、収穫祭でしたが、カトリックの地方の土着の民族宗教と混ざって、生きている者と死んでいる者との交流期間として死者の今を覗き見る、いわば仏教のお盆に似ている思想から来ています。真剣に信じている人がいる限り、「遊び感覚」は失礼になりますが、これを宗教と捉えるか、の問題です。
遊び…但し、死は人生の最大の課題ですから、死を恐れ、悩み苦しむ人々への配慮が必要です。全て自由ですが、遊びで行うとしても互いに節度と常識をもって、プラス楽しくやれたら良いのではないでしょうか。