「愛がなければ」(神の愛②)
(Ⅰコリント書 12:31~13:13)
Ⅰコリント13章は新約聖書全体を通して最もすばらしい「愛の章」「愛の賛歌」といわれるところです。コリント教会はそれほどすばらしい、理想的な教会だったのでしょうか。
パウロはコリントで長く滞在し、生活を共にしたのですが、伝道は困難を極めました。「神よりも悪魔が支配しているとさえ思われる」(カルヴァン)、欲望や自己中心が渦巻いているような教会でした。不一致、分裂、争い、訴訟、性的不品行、偶像への供え物、などの問題が絶えませんでした。日本の最悪といわれる教会よりひどかったかもしれません。信徒にはねたみがあり、高ぶりがあり、いらだちがあり、恨みもあるような状況だったのです。パウロは、愛の賛歌を格調高く歌い上げたものではなく、信徒を叱責し、戒め、勧告をしたものであります。
15の愛の定義(4)は、具体的な愛を提示するものです。「愛」を「神」に換えて読むと、改めて神の愛を理解できます。逆に「愛」を「私」に言い換えて読むことを勧めるのが作家の三浦綾子さんです。不思議にも自分の弱い、みじめな姿がよく見えてくるようになります。
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(13)。コリント教会では信仰や希望の大切さの陰に隠れて、愛の問題がおろそかになっていました。現代の教会にも通じることです。
パウロは信仰と希望は愛の中に含まれている(7)というのです。私たちは主イエスの十字架を通して、愛を知りました。その神の愛に応えるのが信仰であり、この救いに希望を置くのがクリスチャンです。
私たちは神の愛をとことん知り、神を愛する者にとことん変えられて、始めて「生きる者」になるのです。私たちは この「愛がなければ」生きることは出来ないのです。
(8/13 山本師 説教)