2023/6/25 週報メッセージ

「神の言葉はつながれていない」 (Ⅱテモテ 2:1-13) 

 

1942年の6月26日の早朝、全国のホーリネス系諸教会の教職が、治安維持法違反の嫌疑をかけられ一斉に検挙されました。81年前のホーリネスの弾圧という出来事が、現代に生きる私たちにどのようなことを教えているのかを、テモテへの手紙二の御言葉から学びたいと思います。

殉教の死が迫っているパウロは、息子に遺書を書き残すような思いをもって愛弟子のテモテに「わたしの子よ、あなたは、キリスト・イエスにおける恵みによって、強くなりなさい」と語り掛けています。私は今、獄につながれている。テモテよ、お前はそのことの故に気弱になっているかも知れない。そのことを恥じているかも知れない。しかし、どうか恥じたりしないでほしい。なぜなら私は主によって捕らえられているのだから。弾圧に遭ったホーリネスの牧師は、決して華やかな英雄ではありません。苦しみ、悩み、涙し、時には恥ずかしい思いを忍びながら、必死に生き抜かれたのです。キリスト者の生き方は、世間から見て要領の良い、いわゆる得な生き方ではありません。馬鹿正直で損な生き方。時には不器用な生き方と見られるかもしれません。しかし、そんな生き方を恥じることはないのです。弾圧に遭った牧師たちは、極限状態にあっても御言葉の恵みに支えられて耐えることが出来ました。獄中にあっても御言葉は先生方を守り続け支え続けたのです。まさに神の言葉はつながれていなかったのです。家族から隔離されても、教会を奪われても、拷問を受けても、命の危険に晒されても、御言葉が与えられていたから耐えられたのです。米田豊牧師は「獄中の感」としてこういう言葉を残しています。「過去を思えば感謝。現在は平安。将来は信頼あるのみ」。この短い言葉に、神の言葉に生きる者の幸いのすべてが込められています。                             

(6/18 柏 明史師 説教から)