「イエス様と呼ぼう」 (使徒言行録 4:5-14)
山本修一
ペトロとヨハネが生まれながらに足の不自由な男を癒したことが知れ渡り、 エルサレム中が大騒ぎになりました。ユダヤの最高議会はペトロとヨハネを捕らえて「誰の名によって、何の権威によって、ああいうことをしたのか」と尋問しました。これに対してペトロは力強く答えました。「この人が癒されたのは、あなた方が十字架につけて殺し、神様が復活させられたイエス・キリストの名によるのです。ほかの誰によっても、救いは得られません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」。ペトロは聖霊によって、主イエスの十字架が自分の身代わりの死であったことを知らされました。もし誰かが自分の身代わりになったら、その人は強く生きざるを得ません。ペトロは十字架と復活の恵みに押し出されて堂々と語りました。「私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか人間には与えられていない。」これはペトロ自身の救いの体験から発せられた信仰告白です。背き続ける私たちを滅ぼすのではなく、逆にご自身が私たちの罪を代わって負って十字架にかかって死んで下さり、そして復活して下さった神様。そんな神様は、このお方、イエス・キリストの他には絶対にいない。ペトロはそう断言しているのです。物事がうまく進んでいる時には、人間は様々な名によって生きることが出来ます。しかし八方塞りの中でも呼ぶことの出来る名は多くはありません。特に死に直面している時に、尚もそこで望みを託して呼ぶことの出来る名。それは死に打ち勝ったお方、イエス・キリストの名だけです。私たちは愛する人々に、この「イエス・キリストの名によって生きる生き方」をもっと力強く勧めていきたいと思います。どんな時も「イエス様と呼ぼう」と語り掛けていきたいと思います。(4/16 柏明史師 説教から)