2023/12/31 週報メッセージ

「神が人となられた」 (フィリピ書2:6-11)

         

今週は「説教断片」」はお休みです。

今年のクリスマスも、ベアンテ・ボーマン先生のメッセージとチェロの演奏を聴きました。柔和なお顔で、流暢な日本語を話し、時折出るユーモア、ご夫妻の掛け合いは、楽しかったですね。そしていわずもがなチェロの演奏はすばらしかったです。家に帰ってあらためてボーマン師の「CD」を聞きました。私は音楽のことはよく分かりませんが、心に響くチェロの表現力の豊かさには感動しました。

ボーマン先生は70数年間、神さまに豊かに用いられてきました。なおもこの器が豊かに用いられるように祈っていきましょう。

ところで「なぜ神の子であるイエスが人となられたのでしょうか。」少し補足します。

第一に、人に対する神さまの愛を明らかにするためです。イエスさまが神のご栄光のままであれば、だれも近づくことはできません。人となって、愛し、愛される関係になられたのです。

第二は、私たちの罪を救うため、救い主となるためです。私たち人間には絶対にできないことの一つは、自分の罪を解決するということです。人としてのイエスは十字架につけられて、私たちの罪から救って下さったのです。

第三は、キリストはダビデの町でお生まれになるという預言が実現されるためでした。旧約時代の預言によれば、人類の救い主(メシア)は、このダビデ王の子孫から生まれるとの約束がありました。私たちの約束は何でしょう。「キリストを救い主として信じるものは、一人として滅びることなく永遠のいのちを持つ」ことです。

それでは皆様よいお年を。(山本)