「愛と罪の赦し」(神の愛⑥)(コロサイ1:14,2:13)
私たちは人を赦すことは、ほんとうに難しいことを知っています。心の中で死んでも赦せない人をかかえている方もいらっしゃるかもしれません。
ペトロは、「兄弟が罪を犯した場合、何回赦すべきか」とイエスに尋ねました。イエスは「7回を70倍するまで」といわれました(マタイ18:21-22)。それは無限に赦すことを意味するものでした。
「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる」 (マタイ6:14) ここでイエスは人を赦すことを、しかも無条件で赦すことを教えられます。私たちが天の父からどれほど多くの罪を赦されたか、何度も何度も赦されたかを知っているなら、人を赦すことができる、という意味なのです。
私たちは神さまから何を赦されるのでしょう。私たちの罪です。幼子イエスのご降臨の目的は「自分の民を罪から救うため」(マタイ1:21)といわれています。
改めて「罪とは何か」考えます。第一に、的外れです。的外れとは創造主から外れていること。創造主を忘れ、創造主から離れていることです。第二は、罪とは神の律法に反すること。第三は、生まれながらの罪、原罪です。原罪とは、あらゆる人間のうちに潜む、悪を選ぶ傾向のこと。原罪(心の性質)は、赦される問題ではなく、潔められるべき問題です
聖書が提供する「罪」の解決法は、キリストの十字架による赦ししかないのです。私たちのために十字架で死なれ、三日目によみがえられたイエス・キリストを信じる者は、罪を赦されるのです。そしてキリスト者は、十字架の血潮によって「赦された」ものとして、互いに赦し合わなければならないのです。
キリストの福音の中心的メッセージがここにあります。キリスト教の救いとは「罪の赦し」でもあります。
(9/24 山本修一師説教)