やめさせてはならない!
朝位 フミ子
自分たちのやり方と違う人の言葉や行動が、気になる、我慢ならない、許せない、私たちの狭い心と、主イエスはいつも真剣に向き合って戦ってくださいます。「やめさせてはならない」(マルコ9:39)と。この言葉を言われた時に、主イエスは、エルサレムの道、十字架の道をまっすぐに歩いておられました。主イエスは、人と人との違いを受け入れられない狭い心の私たちのために、十字架に架かって死んでくださり、その愛によって狭い心を打ち砕いてくださいました。
聖書では、主イエスの十字架の救いのイメージには、空間的な救いのイメージがあります。つまり、羊飼いが、普段は狭い囲いの中にいる羊が、狭い囲いの中でステイホームしすぎてストレスを溜めないように、時には囲いの外に出して、広い場所に連れ出してくれるのです。羊飼いは、狭い場所から広い場所に、羊を緑の草原に連れて行って草を食べさせ、川に連れて行って水を飲ませてくれます。つまり、救いとは、イエス様が私たちを狭い所から広い所へと連れ出してくださることなのです。
隣人の言葉や行動が許せなくて、自分だけが幸せになればいい、自分たちだけが救われたらそれでいいと考えるような、狭い心、小さい心でしかない私たちに対して、イエス様は、あの人たちのやることを「やめさせてはならない」と言って、狭い所から広い所へと連れ出してくれます。視野を広く持つように、広い心で他の人の違いを受け止めて、共に生きられるように、主は十字架に架かって死に、神の愛に触れさせてくださいました。救いとは、いつもイエス様の広い心、愛の心に触れて、私たちも広い心を持って、隣人と共に生きていくことに尽きるのです。 桜ヶ丘教会の礼拝には、皆気の合う人ばかりではなく、色々と性格の違う方も来られます。皆が広い心で、温かい気持ちで、色んな人をお招きして、教会に歓迎しましょう。