信仰の友の死に臨んで
朝位 真士
「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」(詩116・15)
「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。」(ヘブル11・4b)
先日、我が母教会の信仰の友の死の報告を受けました。彼は遠洋航海の船員として海外に行っていました。彼の証しを紹介します。
20代の頃、大阪でキリスト教のチラシを受け取り、九州に帰ったら復興教会に出席するように言われて、1年間遠洋航海に出たのち九州の教会に出席するようになりました。聖書を熱心に読み続けるうちに神の存在をはっきりと知り、またイエス・キリストというお方が罪深い私のために身代わりとなって十字架にかかってくださった事実に出会いました。私を悩ましていたのは死の問題でした。聖書に出会うまでは、命がなくなると自分という存在が永久に失われるという概念を持っており、強い虚無感に囚われておりました。主イエスの救いに与る者たちには、永遠の世界が用意されているという福音に出会った時に大きな喜びを得ました。こうして、私は船の中で主イエスを自分の救い主として受け入れました。1年間の遠洋航海を終えようとした頃に一大決心をしました。教会生活を送るために船員を辞めるという気持ちが大きくなっていたのです。日本に帰って、会社に退職を申し出ました。復興教会での教会生活を始めてからしばらくして、1973年10月3日に洗礼を受け、幸いな今日があるのは、主イエスの不思議な導きのお陰です。
私が教会にいた頃は、教会活動に積極的に参加し、クリスチャンの姉妹と結婚して二人のお子様に恵まれ、教会では絶えず信者の模範となっていました。教会役員となり、家族あげて教会のために全力を注いで励んでおられました。寡黙な兄弟でしたが、彼の存在は今でも教会にとって大きなものです。一人の信仰の友を天国に送りました。天国は賑やかなことでしょう。