詩編黙想
朝位 真士
私は毎朝、詩編を素読している。詩編1編1~3節を新共同訳聖書より引用する。
いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず/主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。/その人は流れのほとりに植えられた木。/ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。/その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
米田豊先生の詩編解説によると、宗教的な人民であるイスラエルの昔の多くの詩人の作を、神を礼拝する時に音楽に合わせて歌わせる目的で、後代のエズラが編集した聖歌集であるという。最も古い作者は、紀元前千五百年代のモーセであり、編集者エズラに至るまで千年間にわたる作の内、ダビデのものが最も多く73編ある。全体を通じて敬神愛国の情緒にあふれ、感謝賛美、ざんげ祈祷で調子づけられている。その題目は多種多様で、義人の繁栄、悪人の災禍、人生の無常などを歌った教訓的なもの、神の義、神の愛、神の恵み、神の力、神の栄光などの、神の属性や神の律法、神の摂理などを歌った信仰的なもの、罪の悶えの中よりのざんげ、患難の中よりの哀訴、個人及び国民の上に下されたあわれみに対する感謝などの祈祷に関するもの、イスラエルの過去を記した歴史的なもの、及び救主来臨の希望、ならびにイスラエルの将来の幸福を歌った預言的なものがある。詩編を理解するにはまず著者の歴史的事情と背景を知り、その立場より教訓を学ぶのを至当とするが、歴史的事情の不明なものも多い。
私は毎朝、詩編を通読させていただいているが、注解書なしに神の言葉を黙想するのは1日の始め、また終わりに大切なことではないだろうか。私の友人のF牧師はこの詩編の専門家であり、いつも彼にいろいろアドヴァイスをいただきながら、詩編を楽しく読んでいる。