2018/11/4 週報メッセージ

   キリスト教式葬儀の意味
                                                                                                               朝位 真士
  キリスト教式の場合、葬儀は、①故人への愛と敬意の表現、またその死を惜しむ思いの表明とともに、②遺族に対する慰めと励ましを目的とします。①に関して言えば、それが行き過ぎて死者礼拝になると、天地万物の創造主なる神のみを礼拝の対象とするキリスト教信仰に抵触しますので、特に注意を要します。具体的には、遺体、遺骨、遺影などを拝んだり、香をたいたりすることを教会ではしません。②に関しては、聖書の教える死観、死後観が深い意味を帯びています。死によって身体と霊は分離し、身体は土に帰りますが、霊はこれを人に授けた創造主なる神のみもとに帰ると聖書は教えています。多くの人が死に対して不安と恐怖と絶望を感じるのは、この神との関係が罪のために破壊されたことが原因となっています。しかし、神のひとり子キリストの十字架における身代わりにより、信じて罪を赦され、永遠のいのちを与えられているなら、死はもはや恐るべきものではなく、その意味と性格は一変し、永遠なる神の御国への入り口となります。
 このような信仰による希望が、キリスト教葬儀の特色となります。会葬者は、故人をしのび、その生と死に深く思いをいたすとともに、遺族の悲しみ、寂しさなどへの理解と共感にあわせて、この希望について留意するなら、より一層心のこもった弔慰ができましょう。「霊は神のみもとに」という根本の意味をおさえて、プログラムの一つ一つの意味を理解しつつ、祈りの心をもって葬儀に参列することは、故人、遺族のためだけでなく、意義深い経験となるに違いありません。(『クリスチャン生活百科』より引用)