礼拝①
山本 潤
山本 潤
私達は教会に集って礼拝に出席していますが、その礼拝の各プログラムについて、今日と再来週に亘って少し考えてみたいと思います。私は、礼拝のプログラムにはどれにも意味があり、主の恵みに溢れていると思います。
まず、前奏。礼拝が前奏から始まることを示すために、司会者が前奏の前に開会を宣言し、〝最初に前奏を聴きながら、心を静かにし祈りましょう〟等の黙想を促します。この時を、礼拝に対する備え、静まって神様が共におられることを祈る時間となっています。
讃美は歌の形をとった〝献げる祈り〟と言っている方もおられます。賛美の中には、祈りの言葉があります。私は、さんびを〝賛美〟とは書かずに〝讃美〟と〝言〟偏がついているのもこの理由ではないかと思っています。讃美は、神様をほめたたえ、信仰を告白するための一人一人の〝神様への応答〟ですから、神様にしっかり聴いていただけるように胸を張って讃美したいと思います。
主の祈りは、イエス様が教えてくださった基本となる祈りでシンプルですが、奥深い祈りです。そして、皆の共同の祈りとなっていますので、揃って祈りたいとおもいます。私が経験したいろいろな礼拝の中で、ある司会者の方に〝主の祈りを祈りましょう〟と宣言した後、〝主の祈り〟と合図をかけていただいて揃って祈ろうとされる司会者の方もいらっしゃいました。
司会者の祈祷は、礼拝での公同の祈りです。T(時)P(場所)O(場合)に応じて、この礼拝が、共におられる神様、そして神様によって皆がここに集められた感謝をささげ、奉仕されている説教者・兄弟姉妹、祈りながらも欠席せざるを得なかった、特に病のために床に臥している兄弟姉妹のために、祈る時にもなっています。また、イエス様を信じる者全ての者のために、そして未だイエス様の愛にふれていない方々のために祈る時でもあります。報告後の祈りの時間と合わせて祈りを合わせたいと思います。(つづく)