宣教と聖礼典
朝位 真士
朝位 真士
教会の真実さはどのように判断されるのでしょうか。それは「福音の正しい宣教」および「聖礼典の適切な執行」という二つの要素によります。聖礼典の正当性は、礼典の行われる場において神の約束のことばが明確に語られ、それが信仰をもって受け取られているかどうかが重要です。教会の一致の基礎となり、その前進をうながすのは、キリストご自身の臨在であって、特定の組織形態や運営制度への一致によるのではありません。
キリスト教会において「恵みの手段」と呼ばれる聖礼典は、バプテスマ(洗礼)と聖餐の二つのみです。これら二つについてのみ、キリストは明確にその執行をお命じになりました。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・19~20)。聖礼典においては、神が主権を行使し、受ける者に祝福を与えるよう働かれます。バプテスマ(洗礼)は、キリストご自身とともに葬られ、罪に対して死に、彼とともに新しい生命によみがえることを示します。「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」(ローマ6・4)
聖餐は主の晩餐とも呼ばれます。神との結びつきを表出し、経験する契約式であり、キリストのからだと血とにあずかる礼典とも呼ばれています(Ⅰコリ10・16)。パンはキリストのからだを表し、ぶどう酒はその血を表すことによって、キリストご自身が見えない姿で現臨されます。それは教会の霊的一致を具体的に経験する機会ともなります。(『クリスチャン生活百科』より)
キリスト教会において「恵みの手段」と呼ばれる聖礼典は、バプテスマ(洗礼)と聖餐の二つのみです。これら二つについてのみ、キリストは明確にその執行をお命じになりました。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・19~20)。聖礼典においては、神が主権を行使し、受ける者に祝福を与えるよう働かれます。バプテスマ(洗礼)は、キリストご自身とともに葬られ、罪に対して死に、彼とともに新しい生命によみがえることを示します。「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」(ローマ6・4)
聖餐は主の晩餐とも呼ばれます。神との結びつきを表出し、経験する契約式であり、キリストのからだと血とにあずかる礼典とも呼ばれています(Ⅰコリ10・16)。パンはキリストのからだを表し、ぶどう酒はその血を表すことによって、キリストご自身が見えない姿で現臨されます。それは教会の霊的一致を具体的に経験する機会ともなります。(『クリスチャン生活百科』より)