クリスマスの想い出
朝位真士
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ三章一六節)
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカ二章一一節)
今年もクリスマス礼拝を迎えるシーズンとなった。私は一九六一年十二月二四日に、北九州復興教会で故山中日出刃牧師によって受洗した。当時一八才の少年である。あれから五五年経過している。もし洗礼を受けていなかったら、私はどうなっていたであろう。高校生の多感な年頃で、大学受験を諦めて高卒で就職しなくてはならない時期、私の小学校・中学校の友人達は大学進学の猛勉強をしていた。私は就職活動に日々を過ごしていた。その時、友人のM君によって母教会の高校生特別集会に導かれ、その年のクリスマスに受洗した。サラリーマンとして九年勤めたが、東京転勤を機に献身した。神学校で四年間学び、一九七五年卒業してから一九年間母教会の北九州復興教会で奉仕をした。フミ子師と結婚し、曽根開拓に従事した。大変な一九年間であったが、嬉しいこともあった。二人の子供が与えられ、二人とも受洗の恵みに与り、一九八九年クリスマスに一度に七名の受洗者が与えられたことである。家族五人(ご主人・奥様・子供三人)全員が受洗に与り、他の男性一人はフミ子師が音楽を教えていた娘さんのお父さんで、現在は北九州復興教会の役員をされている。一人の女性は家庭集会から救われて、遺産の土地を母教会に捧げておられる。
クリスマスの大いなる恵みは、一人でも多くの方が教会に来られ、救いの恵みに与ることである。栄光は主にあれ。ハレルヤ!!