2016/11/27 週報メッセージ

   降臨節(アドベント)を迎えて
  朝位 真士
降臨節第一主日は、教会暦における元旦である。その日は十一月三十日の使徒聖アンデレの日に一番近い(後であっても先であっても)日曜日である。もし、アンデレの日が日曜日であったならば、その日が降臨節第一主日となる。降臨節は待望と憧憬(あこがれ)の期節である。これを「アドベント」というが、この字の意味は「来る(降臨)」ということである。それは、世界があげて救い主を待つ時節である。この期節は、神がみ子を世につかわすために、イスラエルを長い期間にわたって準備された、その準備の期間にもたとえられる。その長い数百年にわたる準備の年月に比べるならば、ここで行う降臨節の準備はむしろ短すぎる。昔の人は、大いなるみ子降誕の知らせを聞くために、長い長い世紀にわたって準備の時を要した。彼らは、まず第一に、神がひとりの神であることを学ばねばならなかった。ローマ人やギリシャ人は、古代人としては最も教養の豊かな民であったが、それでもなお多くの神々の存在を信じていた。しかし、イスラエルにおける信仰のあつい人々は、主なる神はただひとりの神であることを、くり返しまたくり返し教えられてきた。こうして、宗教に対する正しい理解が一通り行き渡ることが、主イエス降臨の前に望ましいことであった。ユダヤ人は、ほとんど当時の全世界に散在して、正しい神観念の普及につとめた。キリスト教を受ける下地を各所に用意した。ギリシャ語は、世界語(当時の社会)となっていて、どこに行っても福音が自由に伝えられるようになっていた。主イエスは、二千年の昔、ユダヤのベツレヘムに誕生したが、多くの人々は彼を迎え入れなかった。現代も主イエスを心の中に迎え入れる場所があるだろうか。心の中のわだかまっている諸々の悪念や、この世の思い煩いを取り去って、心の奥座敷に主を待たねばならない。