2016/1/31 週報メッセージ

   喜びによる前進
                                                                                                          朝位 真士
  「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。」(詩編126編5節)
 二〇一六年の標語です。「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミア8章10節)
 山北先生の『それゆけ伝道ー元気の出るエッセイ100』に出ている「喜びによる前進」という項目に、私は非常に感動したので、著者の許可を得て転記したいと思います。
 
  人間の罪にも拘わらず与えられる神の赦し、破壊にも拘わらず創造、絶望にも拘わらず希望、このことが告
 げられる時、深い感謝とともに喜びが力となってあらわれるのでしょう。
  この喜び、つまり主を喜ぶことなくして、難しい状況に立ち向かう力は出てきませんし、前進はありません。
 伝道にしても人間が頑張ることではなく、主を喜ぶことによってこそ私が新しくされ、力を与えられて前進で
 きるのです。「喜びは祈り、喜びは力、喜びは愛」と言ったマザー・テレサはさらにこうも言葉を続けました。
 「どんなことがあっても、復活されたキリストの喜びを忘れてしまうことの決してないように。喜びの喪失、
 とりわけキリストの十字架と復活の恵みによって私たちが今日あるを得ているとの感謝と喜びに満たされてい
 ない時、私たちの暗さは救いようもなくなること請け合いです。」暗い雰囲気の教会、額にたてジワを刻んだ
 ままのクリスチャン、これが常態ならば、伝道以前の問題でしょう。
 
 私は何か額をハンマーでガーンと打たれた感じがしました。伝道(キリストを伝えること)は、キリストを信じた私たちが、存在を通してキリストを証ししていくのだということです。私たちは身近な人をキリストに導くように祈っていかなくてはならない。今年一人の魂の救いのため「喜びの前進」をしようではありませんか。