2016/1/17 週報メッセージ

   「断食祈祷聖会2016」に出席して                                                                                                                                                                    朝位 真士
  1月11日~12日迄、東京中央教会で行われた断食祈祷聖会に、部分的ですが参加することができて感謝でした。多くのことを学ばされましたが、「21世紀宣教の課題」として天野弘昌先生が語られたことを記します。
 
  プロテスタント宣教が日本で始められて百五十数年が経過しましたが、同時期に宣教が開始された韓国で
 は30~40%のクリスチャン人口になり、また中国のキリスト教化は2030年には5~6億に至ると予想する
 人もいます。日本宣教の深刻な惨憺たる現状は、何が要因にあるのでしょうか。様々な研究、検証が宣教研
 究の学者やエキスパートによって課題や提言が発表されています。しかし厳しい現実が横たわり、未だ大きな
 変化はありません。
  それは、神の時カイロスでした。米国やカナダに今や中華系の人々が溢れ、考えられないほどの主や聖書
 への飢え渇き、家族単位の救いに圧倒されました。自らの人生、生涯を、涙を流して主に献げる聖い姿で、想
 像を絶する違いに驚愕し、畏敬の念を持ち、おそらく彼らの心の土壌に違いがあるのでしょうか。まるで四つの
 種の譬えにある、良い土地に蒔かれた種のように感じました。またその働きの中、出エジプト3・7~9が響きま
 した。「民の悩みを確かに見、……彼らの叫びを聞いた。……しいたげを見た。」さらにマルコ1・15の「時が満
 ち、神の国は近くなった。……」主は今も生きて働き、その御国をもってあまねく全地を見渡しておられる方で
 す。今こそ、祖国の霊的に深刻な実情を憂い、祈り叫び、真摯に執り成していくことが問われているのではな
 いでしょうか。
  黙示3・15~21にある、ラオデキヤにある教会のようならば、私たちは「実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲
 目で、裸な者であることを知らない。……」まさに霊的覚醒がなされるため、主からの目薬が必要なのでしょう
 か。