2016/1/10 週報メッセージ

   2016年の標語について
                                                                                                           朝位 真士
  今年は詩126編全体の御言葉が与えられましたが、特に「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」(5~6節)に注目し、「涙と共に種を蒔く人は、刈り入れる」を標語とします。私共も主にある希望を抱き、福音の「種蒔く人」にならねばなりません。涙をもって祈って蒔いた種は決して無駄にはなりません。必ず収穫(救われる人)を喜ぶ時が来るのを信じ、時を得るも得ざるも励んで証しすべきです。(コヘレト11・1~6、Ⅱテモテ4・2)
 話は変わりますが、最近ハイデルベルク信仰問答を読んでいて「感謝について」の項目が目につき、教えられました。「問86、わたしたちが自分の悲惨さから、自分のいかなる功績にもよらず、恵みによりキリストを通して救われているならば、なぜわたしたちは善い行いをしなければならないのですか。答、なぜなら、キリストは、その血によってわたしたちを御自身のかたちへと生まれ変わらせてもくださるからです。それは、わたしたちがその恵みに対して全生活にわたって神に感謝を表し、この方がわたしたちによって讃美されるためです。さらに、わたしたちが自分の信仰をその実によって自ら確かめ、わたしたちの敬虔な歩みによって、わたしたちの隣人をもキリストに導くためです」とあります。とくに「全生活にわたって神に感謝を表し」という所で、ローマ6・13、12・1~2、Ⅰペトロ2・5~10が引用されています。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」とあります。感謝の生活は、全生活を神に献げることによってなすことができます。今年1年、感謝の思いをもって、まだ救われていない人々に福音の種を蒔き、神の収穫にあずかりたいと祈るものです。