2015/9/6 週報メッセージ

   ある牧会訪問より
                                                                                                         朝位 真士
  最近私は重病の方々を見舞う時が与えられています。先日もT姉を訪問させていただきました。家人の許可を得てのことですが、死後のことを語らせていただきました。大変落ち着いて、自分の葬儀のプログラムまで私に指示をしてくださいました。T姉は、死は恐怖でもなく、あきらめでもなく、天国に行くプロセスであり、愛するイエス様を始め、召天された方々と再会できる希望があり、地上におられる方々ともやがて天国で再会できるという確信に満ちていました。
 私も伝道師・牧師になって40年間に多くの方々の臨終の場面に接してまいりましたが、こんなにも平安と死後の世界の確信に満ちている方も珍しいと思いました。死は、一般的に未知の世界に行くのですから、恐怖であり、死にたくないと思うのが普通ですが、T姉は「すべては、神様の御手にあります」と、やさしい笑顔ではっきりと述べておられました。人間的に大変苦しい病気との戦いですが、それも全て神様に委ねておられる御顔は、天の輝きのような感じがいたしました。
 私はT姉の葬儀で歌われるであろう讃美歌や、語って欲しいと言われた聖書を引用しました。詩編23編全部です。まるで生前葬のようであり、天国の婚宴のようでした。御家族にとっては、大変悲しいつらい出来事だと思います。しかし、主イエスは私達の罪の身代わりとなって十字架にかかって死に、3日目に復活されて、今も目には見えませんが聖霊様という姿で私共と常にいてくださるインマヌエルの神でいらっしゃいます。T姉は、この確信を信仰によって持っておられたと、私は信じます。
 「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない。」(コヘレト3・11)