M兄の召天の報に接して
朝位 真士
朝位 真士
さる8月17日午前2時過ぎに急逝されたM兄の召天の連絡を娘さんから受けて、8月19日午後6時に前夜式を、翌20日午前10時45分に告別式を行いました。88歳9ヶ月の生涯でした。M兄は大正15年11月2日に5男2女の長男として浜松市で誕生され、父親の仕事の関係で浜松から東京佃島に引越し、その後結婚されるまで横浜に居住されました。昭和30年10月、K姉と結婚され、長女が昭和31年11月に誕生されました。結婚17年後初めて桜ヶ丘教会に来られ、故西海静雄牧師により昭和46年12月19日受洗されました。その後桜ヶ丘教会の会員として、教会の発展にご夫妻で尽力されました。特に新会堂建設のために財務担当役員として長くその重責を担ってくださいました。不可能と思える会堂建設では、信仰的決断をもって積極的にご奉仕くださり、物心両面の必要が与えられたのは、M兄の信仰的積極性の故だったと感謝しています。
私がM兄に最後にお会いしたのは、7月31日の午前に訪問し、M兄姉と娘さんの4人で兄の病状を気遣い、聖書を引用し、お祈りをさせていただき、M家を出ました。その後8月3日に救急車で搬送され、4日午前2時入院。6日朝、急性心不全となり、17日午前2時過ぎ、敗血症という病名で88歳9ヶ月の生涯を全うされました。「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。」(詩116・15)
Mさんは、『桜ヶ丘教会90周年記念誌』に次のような文章を記載しています。「教会役員として、また会堂建設の会計担当者として私も会堂建設に関わらせていただきました。……これからは、与えられたこの立派な会堂に溢れるほどの会衆と共に礼拝を守ることを目標として頑張っていけたらと思っています。」私共は、Mさんの遺志を思い、天にいるM兄をはじめ桜ヶ丘教会の方々の祈りを実践したいと思います。
私がM兄に最後にお会いしたのは、7月31日の午前に訪問し、M兄姉と娘さんの4人で兄の病状を気遣い、聖書を引用し、お祈りをさせていただき、M家を出ました。その後8月3日に救急車で搬送され、4日午前2時入院。6日朝、急性心不全となり、17日午前2時過ぎ、敗血症という病名で88歳9ヶ月の生涯を全うされました。「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。」(詩116・15)
Mさんは、『桜ヶ丘教会90周年記念誌』に次のような文章を記載しています。「教会役員として、また会堂建設の会計担当者として私も会堂建設に関わらせていただきました。……これからは、与えられたこの立派な会堂に溢れるほどの会衆と共に礼拝を守ることを目標として頑張っていけたらと思っています。」私共は、Mさんの遺志を思い、天にいるM兄をはじめ桜ヶ丘教会の方々の祈りを実践したいと思います。