「改訂宣教基礎理論」二次草案
朝位 真士
朝位 真士
引き続き「宣教の内容」(2)生の全領域における変革から始めましょう。
①ただ神の恵みにより、信仰によって義とされた者は、この「義認」の恵みによって、日々聖霊の実を結びます。これを「聖化」と言います。また、同じ「義認」の恵みのゆえに、教会を形成し、一人でも多くの者に福音を宣べ伝える「召命」を受けます。義認と聖化と召命は、一つの恵みのみわざです。決して三つがバラバラに起こるのではなく、常に同時に起こっています。(ロマ6・11、エフェ2・4~6、ガラ3・27、同6・15、2ペト1・10)
②「義認」とは、キリストを信じる者の罪がもはや罪として認められず、神との交わりの中に入れられることです。(ロマ8・1~11、1ペト1・8、1ヨハ1・3)
③「聖化」とは、キリスト者がただ義認の恵みに基づき、その生の全領域において、日々古い自分に死に、新しい自分に生まれ変わって、神に向かって生きるようになることです。(エフェ4・22~24、ガラ2・20、使20・32、マタ13・23、同7・17)
④その人は、父なる神がお喜びになる善い業をするようになります。善い業の基本は、神を「アッバ、父よ」と呼ぶ祈りです。神に「父よ」と祈る祈りから出たものではない業は、肉の業であり、良いわざとは言えません。(ロマ8・14~16、ガラ4・6、マコ14・36)
⑤キリスト者が祈りによって神と結ばれるとき、その人は神を愛し、神を畏れる者となり、強いられてではなく、喜んで、死に至るまで神に従うことを願うようになります。その意味において、その生涯は悔い改めの生涯となるでしょう。また、その人は聖霊の実を結び、「キリストの香り」を放つ者となるでしょう。(ガラ5・16~17、同5・22~23、詩1・1~3、2コリ2・14~15)
②「義認」とは、キリストを信じる者の罪がもはや罪として認められず、神との交わりの中に入れられることです。(ロマ8・1~11、1ペト1・8、1ヨハ1・3)
③「聖化」とは、キリスト者がただ義認の恵みに基づき、その生の全領域において、日々古い自分に死に、新しい自分に生まれ変わって、神に向かって生きるようになることです。(エフェ4・22~24、ガラ2・20、使20・32、マタ13・23、同7・17)
④その人は、父なる神がお喜びになる善い業をするようになります。善い業の基本は、神を「アッバ、父よ」と呼ぶ祈りです。神に「父よ」と祈る祈りから出たものではない業は、肉の業であり、良いわざとは言えません。(ロマ8・14~16、ガラ4・6、マコ14・36)
⑤キリスト者が祈りによって神と結ばれるとき、その人は神を愛し、神を畏れる者となり、強いられてではなく、喜んで、死に至るまで神に従うことを願うようになります。その意味において、その生涯は悔い改めの生涯となるでしょう。また、その人は聖霊の実を結び、「キリストの香り」を放つ者となるでしょう。(ガラ5・16~17、同5・22~23、詩1・1~3、2コリ2・14~15)