「改訂宣教基礎理論」二次草案
朝位 真士
引き続き「宣教の内容」(1)中心としてのキリストの出来事-罪の赦し-
⑤御子イエス・キリストの十字架において起こった中心的な事柄は、人間の罪を取り除くことです。すなわち、キリストは、わたしたちの現実を憐れみ深い目でご覧になり、そのもっとも深いところにまで根を下ろしている闇の部分に立ち向かってくださいました。ただし、それは驚くべき仕方で、すなわち、御子が御父に従い、全人類の罪を身代わりに背負って十字架上で「呪いの死」を死なれる、という仕方において起こりました。これにより、罪は完全に取り除かれました。(ヨハ1・29、同5・19、同12・31、同17・1~5、ロマ8・3、フィリ2・6~11、ガラ3・13)
⑥父なる神は死に至るまで従順であられた御子を義とし、死人の中からよみがえらせました。そして、これを受け入れ、キリストによる罪の赦しを信じる人を神は価なしに義とされます。したがって、「神みずから義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされる」(ロマ3・26、口語訳)のです。(ガラ3・13、マコ15・34、フィリ2・6~9、ロマ3・25~26、同10・10、同3・28)
⑦信仰によって義と認められた者は、すでに罪の支配領域から恵みの支配領域へと移されています。その人にはなお罪との戦いが残っていますが、今すでに不安や思い煩いから解放され、神との交わり(永遠の生命)を与えられているゆえに、神と隣人を愛する生活に踏み出すことができます。(2コリ5・17、ロマ6・11、同8・38~39、1ヨハ3・2、ガラ5・1)
⑧「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとり」(1テモ2・5)です。したがって、人類を救う福音はただ一つ、イエス・キリストの御名による救いです。(申6・4、使4・12、ガラ1・6~7、ロマ10・14~17)