「断食祈祷聖会」に出席して
朝位 真士
私は1月12日~14日の断食聖会に部分参加をいたしました。講師は著名な先生ばかりで、最初は長く北陸で伝道されたY牧師でした。「日本に適した伝道方策」として、パウロの「ユダヤ人にはユダヤ人のように」(Ⅰコリ9・20)という言葉から、「日本人には日本人のように」と日本人の考え方や感じ方に合った伝道方策はと考えて浮かんだのは、「蓮如」のことだったと語られました。500年以上前に五七歳で北陸の吉崎に来て、わずか4年で北陸は変えられ、真宗王国と呼ばれるようになりました。蓮如から受けた教えとインスピレーションは、大きな指針となりました。先生は浄土真宗の牙城に、ゆだねる伝道として三つのポイントを語られました。①みことばにゆだねる。(使徒20・
朝位 真士
私は1月12日~14日の断食聖会に部分参加をいたしました。講師は著名な先生ばかりで、最初は長く北陸で伝道されたY牧師でした。「日本に適した伝道方策」として、パウロの「ユダヤ人にはユダヤ人のように」(Ⅰコリ9・20)という言葉から、「日本人には日本人のように」と日本人の考え方や感じ方に合った伝道方策はと考えて浮かんだのは、「蓮如」のことだったと語られました。500年以上前に五七歳で北陸の吉崎に来て、わずか4年で北陸は変えられ、真宗王国と呼ばれるようになりました。蓮如から受けた教えとインスピレーションは、大きな指針となりました。先生は浄土真宗の牙城に、ゆだねる伝道として三つのポイントを語られました。①みことばにゆだねる。(使徒20・
32)②他の人に教える力のある忠実な人にゆだねる。そして初代教会は「弟子の数がふえて行った」。(使徒6・7)③「ヨシュアは年を重ねて老人になった。主は彼に仰せられた。『あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている。』」(ヨシュア13・1)と、しめくくられました。ちなみに先生は私と同じ羊年です。
次にO牧師で、ミッションスクールの院長をされた後、現在は東京のある教会の牧師です。彼は「私たちは『祈れ』と神から待たれている」と題して、「祈りは神の御許によじ登る登山に似ています。私たちには、日常性、世俗性という重力が働いています。その重力に抗して登攀すること、それが祈りです。祈りは神から待たれ、促され、引き出されてくるものだからです。私たちは、神から『祈れ』と待たれているのです。待たれていることを知って、応答する誠意が引き出されます。呼応の相互性こそ、人間の深い喜びです。」と語られました。
次にO牧師で、ミッションスクールの院長をされた後、現在は東京のある教会の牧師です。彼は「私たちは『祈れ』と神から待たれている」と題して、「祈りは神の御許によじ登る登山に似ています。私たちには、日常性、世俗性という重力が働いています。その重力に抗して登攀すること、それが祈りです。祈りは神から待たれ、促され、引き出されてくるものだからです。私たちは、神から『祈れ』と待たれているのです。待たれていることを知って、応答する誠意が引き出されます。呼応の相互性こそ、人間の深い喜びです。」と語られました。