私の霊的生活の一端
朝位 真士
私はクリスチャンになって53年目を迎えようとしている。その時以来、毎朝4時半~5時頃起床して30分~1時間の黙想の時を守ってきた。現代社会は大変複雑で不安の多い問題が日常茶飯事となっている。伝道者(牧師)となって39年目を迎えようとしているが、今までいろんな問題・課題に直面してきた。勿論、100%満足いく解決はできないが、それでもやや満足いく解決が与えられたのは、主イエス様との霊的交わりと教会員の皆様方のお陰と感謝している。勿論家族の協力も甚大である。
さて私が9月15日のデボーションの時に与えられた聖句を記してみたい。箴言30章7~10節、「二つのことをあなたに願います。わたしが死ぬまで、それを拒まないでください。むなしいもの、偽りの言葉を、わたしから遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、わたしたのために定められたパンで、わたしを養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、わたしの神の御名を汚しかねません。僕のことを主人に中傷してはならない。彼はあなたを呪い、あなたは罪に定められる。」これはソロモンが語ったと言われる。
多すぎる金銭を持つことは危険となり得るが、少なすぎることも危険となり得る。実際、貧困は肉体的健康だけではなく霊的健康においても危険である。一方、豊かであることが答えではない。イエスが指摘したように、富んだ人たちが神の国に入るのは困難である。パウロのように、少なく持っていようと豊かに持っていようと、どのように生きるかを学ぶことができるが、私たちの人生は「貧しさも富も」ない方が効果的になりやすい。私はそういう生き方をしたいと願っている。