2013/9/8 週報メッセージ

   日本伝道の幻を語る会(その三)
                                                                                                    朝位 真士
  前回に引き続き、石田学先生の講演を記します。先生は、「老人よ、若者よ、夢を見よ」の中で、ヨエル3・1、コロサイ3・1~5の聖書を引用されました。
 「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
 
  イエス様の声は、このやもめにも聞こえたはずです。これは、イエス様のすべての言葉の中で、もっとも美
 しい言葉の一つです。イエス様は、この貧しい女性に特別に目を注ぎました。その理由は、彼女が「生活費
 (ビオス=命)を全部入れたからだと言います。2レプトンという小銭が象徴する、彼女の真の捧げ物にこそ、
 イエス様は目を注いだのでした。それは「金銭」ではなく、「霊的な捧げ物」でした。天の本国を見ているの
 でなければ捧げることのできない捧げ物です。イエス様は、小さな乏しい捧げ物にこそ目を注いでくださいま
 した。わたしたちも同じです。小さく乏しい捧げ物であるとしても、喜んで、自分の生き方そのものを神に捧
 げるなら、神はその捧げ物を喜び、慈しみの目を注いでくださるでしょう。ここで、私は考えさせられます。
 もし一人ひとりが、この女性の2レプトンに象徴される自分の「ビオス」を捧げるとしたら、教会はどうなる
 のだろうかと。もし教会が2レプトンを捧げる人々の群になるなら、その時、何も起きないはずがありません。
 皆さんの教会は、どうでしょうか。2レプトンを捧げる人々の群になるとき、わたしは一つひとつの教会が変
 わると信じます。
 
 日本の教会には、預言する息子や娘、夢を見る老人、幻を見る若者が満ちあふれると信じたいものです。