説教断片
朝位 真士
先日8月12日の説教で気づいたこと、語りたかったことを記してみたい。
聖書ルカ7章36~50節である。関連記事はマタイ26章6~16節。マルコ14章3~9節。ヨハネ12章1~8節で、「ベタニヤで香油を注がれる」という小見出しが記されていた。ルカでは「罪深い女を赦す」という小見出しがついていた。この女は、ファリサイ派の人の家に入って、イエス様が食事の席に着いておられた時、高価な香油の入った石膏の壺を持ってきて後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエス様は彼女の行為に対して、「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」と、大いにこの女を賞賛された。彼女はすでに自分には罪の赦しが与えられていることを知って、イエスに対する感謝と喜びを表すためにイエスの所に来たのである。その喜びと感謝がどのくらい大きいものであったかがルカ7章38節に書かれている。この女は、自分の罪の赦しの大きさがどれほどであるかの真の意味を知っていたので、イエスに対する感謝と喜びを愛をもって表現したのである。
私たち信仰者も礼拝において福音を聞くたびに、自分の罪を赦していただいたその赦しの大きさを思いたいものである。そしてその喜びはキリストに対する愛の大きさとなって現れていかなければならない。この女は具体的に、当時の1年間の給与の三百デナリオンの高価なナルドの香油をイエス様の足に塗ったとある。これはイエスに対する謙遜と愛情と感謝を表していると言われている。私共も毎回の礼拝でこのような思いをもってイエス様を礼拝しよう。シャローム。