主の御心ならば
朝位 真士
よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く露にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。(ヤコブ4・13~15)
私は、今年の元旦礼拝に於いて、今年も地域に開かれた教会として、教会員の皆様方と一緒に伝道の業をさせていただこうと、張り切って確信をもってメッセージを語らせていただいた。その矢先に夕方から風邪をひいて声が出なくなり、丸三日間不自由な生活をした。健康であるということがどんなに感謝なことかと、今更ながら感じた。
久しぶりに親類の者から電話があり、喜んで電話を取ったのはいいが、彼女はガンを患って手術をした後であった。もう少し発見が遅れていたら手遅れになっていたということを、そして生かされていることがどんなに素晴らしいことであるかということを感謝していた。
私は今回の自分の経験を通して、主の前にもう一度悔い改めを迫られた思いがした。私は生来的に健康であると自負していた。そのために体を少し痛めつけたようで反省した。「あなたがたは『主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう』と言うべきです」とある。自分のことを優先するのではなく、主の御心、御旨を優先しなくてはならない。そして、自分の体を神に喜ばれる生きた聖なる供え物として、献げなくてはならないと思う。
この1年、祈りと宣教と教会形成という三つにして一つなる神の御業を優先して、主のために全力を注いで励んでいきましょう。