N兄の召天に際して
朝位 真士
過ぐる8月14日(日)朝、礼拝前にK兄より電話があった。「N兄が13日召天した」という内容であった。私は受話器を置いた時、まだ信じられないことであった。日曜日の礼拝と役員会を終えてすぐ、私はN兄が入院されている病院に向かった。担当看護師の案内で霊安室でN兄と対面した。安らかな死顔であった。私は式文に基づいて簡単なセレモニーを終えて、病院を後にした。教会に戻り、翌日病院の担当者(ソーシャル・ワーカーのKさん)と葬儀について電話で打ち合わせをした。病院の事情と高齢の兄さんが遠方におられることのため、病院から出棺するということになり、8月16日午前11時、私とフミ子師は病院に行き、N兄の葬儀・告別式を行った。親族は参加されなかったが、病院側の配慮でN兄の病院関係者20名近くが出席して、キリスト教式による葬儀・告別式を私が行った。幡ヶ谷斎場で火葬と収骨式の司式をさせていただき、葬儀社にN兄の御遺骨を親族へ送っていただいた。N兄は生前、彼の自分史を私に語っていた。国立大学教育学部を卒業して数年教師をされ、人間関係で悩み、20代のとき沖縄で洗礼を受けられた。その後数十年間病院を転々として、現在のS病院に入院された。治療に専念され、日曜日にはタクシーでK兄と教会の礼拝に出席されて、タクシーで帰って行かれた姿を思い出す。元気で体が動くときは毎週会堂清掃をしてくださった。プライベートの時間には、よく教会に電話をされていた。76歳6ヶ月の生涯であった。
「『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。然り、彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」(ヨハネ黙示14・13)