島先生の問安礼拝を期待して
朝位 真士
朝位 真士
今日は、ホ群の問安使、島先生をお迎えしての特別礼拝です。先生は東京聖書学校の校長であり、仙台青葉荘教会の牧師でいらっしゃいます。北海道札幌のクリスチャンホームで生まれ、ホ群の教会で育てられ、1955年に受洗されました。1965年仙台で献身に導かれ、1972年按手礼を受けられました、西東京教区の更生教会牧師、香港日本基督教会の宣教師・牧師、西川口教会牧師を経て、2004年より仙台青葉荘教会牧師となられました。1998年より東京聖書学校校長として教えておられます。特に日本のジョン・ウェスレーの研究者として有名な学者のお一人です。もし献身の道をお通りにならなければ、国立大学教授としてお働きされた方です。しかし神は、神の国の働き人を養成する神学校の責任者として、先生を用いておられます。
私と先生との関わりの中では、私が神学校時代の千葉へのキャラバン派遣で、先生に引率教師としてご指導していただいたのが強く心に留まっています。先生は博学であるにもかかわらず、ご自分の知識や信仰を自慢なさらず、絶えず、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制(ガラ5・22~23)を身をもって証しされておられます。
今日はヨハネ21章15~19節を通して「私を愛するか」というテーマで語っていただきます。先生の語られる説教の一つ一つの御言に、霊眼(霊の目)、霊耳(霊の耳)を大きく開いて、主の御心をしっかりと受けとめさせていただきましょう。主イエス様を愛するとはどういうことなのか、いや、主ご自信が私を愛してくださった、その大きな愛とは何であるかを、もう一度心に深くとめてみましょう。
私と先生との関わりの中では、私が神学校時代の千葉へのキャラバン派遣で、先生に引率教師としてご指導していただいたのが強く心に留まっています。先生は博学であるにもかかわらず、ご自分の知識や信仰を自慢なさらず、絶えず、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制(ガラ5・22~23)を身をもって証しされておられます。
今日はヨハネ21章15~19節を通して「私を愛するか」というテーマで語っていただきます。先生の語られる説教の一つ一つの御言に、霊眼(霊の目)、霊耳(霊の耳)を大きく開いて、主の御心をしっかりと受けとめさせていただきましょう。主イエス様を愛するとはどういうことなのか、いや、主ご自信が私を愛してくださった、その大きな愛とは何であるかを、もう一度心に深くとめてみましょう。