土の器の宝キリスト
朝位 真士
「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(Ⅱコリ4・7)
「土の器」というのは、粘土で造られた粗末な土器で、大変もろいものであった。「このような宝」というのは、6節の「キリストの顔に輝く神の栄光の知識」をさしている。つまり福音を伝える力である。昔この地方では、よく土製の壺に金や銀を入れてしまっておく風習があった。人間が地上で持っているこの体は、丁度、土の器と同じで、いろんな弱さにまつられている。そして、粗末でこわれやすい。ただ身体だけではない。人間の存在そのものが、もろいものであり、不完全なものである。しかしその人間が、キリストの栄光のために用いられるのである。壊れやすい器の燭台であるが、世を照らす、キリストの栄光を輝かせる働きをする。
Ⅱコリ4・1~6、伝道の態度。7~11、土の器に盛られた宝。12~15、使徒の働き。7節の宝が土器の中に入れられている。尊い宝(福音)と、みすぼらしい土器(見ばえなき人間にすぎぬ使徒)。イエスの復活に与る希望をもっているからである。パウロの働き、その苦闘は教会のためであり、神の栄光のためである。
「人間の主な最高の目的は神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである。」(ウェストミンスター大教理問答)最終的には、この神の栄光を現すことのできる人生が送れるようになったら、どんなに素晴らしいことであろう。「土の器」の中に、わたしたちは輝かしい「宝」を与えられている。この「宝」とは、「イエス・キリストの福音」、「新しい契約」である。「土の器」は高価で貴く、神の目には価高いものである。