ペンテコステ礼拝、89周年記念礼拝、星野富弘美術館巡り

イメージ 1写真:K/Kさん提供
5月27日:ペンテコステ礼拝にて 
お話:杉本師「わたしの天の父の御心」
「神の言葉と格闘しているか」というメッセージが心に響きました。聖書が目指すものは何か。聖書には「神様の言葉、信仰、人間」について、神様の考えが表されているということ。自分の肉の姿を鏡で見ることができるが、では心をどのようにして見るか。それは聖書を通して見ることが可能であるということ。聖書は心を映すものである。本当の意味で聖書の言葉を聴き、イエス様の本質を知り、聖霊が私たちと共にいてくださることを期待しなければならないことを教えていただきました。
 
6月3日:創立記念特別礼拝
お話:岸義弘師「十字架の表と裏」
『苦難は必ず勝利の道に入らなければならない。』という力強い言葉の一線上にお話はありました。『No rain no rainbow, No pain  no gain, No cross no Crown 』
十字架を通して現された神の勝利(イエス様の栄冠・栄光)を仰ぎ見るとき、事実と真理という表と裏を考えなければならないことを教えていただきました。律法主義によって、イエスキリストの死を無意味にすることはあってはならないこと。神の恵みによって、悲しみの先に必ず虹が輝いているという真実を私たちは確信できるということです。主にある家族のように、岸先生ご夫妻を囲んで昼食のひとときを過ごすことができました。岸先生からサクソホンの素晴らしい音楽のプレゼントと食事への差し入れもいただきました。来年も先生に是非お越しいただきたいと思います。
 
6月23日(土曜日):星野富弘美術館巡り
新宿発の観光バスに乗って、総勢29人(子供たち5人)が、美術館の絵や緑の山々などを楽しみました。星野富弘さんの生家にも行き、裏山の小高い竹林に囲まれた十字架のお墓も見てきました。
私は、今日、裏山の十字架と星野さんのつながりの奥深い意味を、心に痛いほどに感じました。
十字架は生後8か月で召天されたお子さんのお墓に立てられたもの。
悲しみの先に虹が輝いたのですね。星野さんと召天されたそのお子さんとは、主によって強く結びつけられていた関係なのだと思いました。
 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
上記は、その小さな十字架に刻まれた聖書の言葉。
星野さんが、子供の頃出会ったその十字架と刻まれた言葉の真実について知ったのは、体操の事故で体が不自由になった後のこと。
聖霊が、働いていてくださっているのですね。
 
星野富弘さんの詩歌に触れるとき、小さな野の花や風や雲と心が通うことができることを思い出し、
私たちは自然の中の一つなのだとつくづく思わされます。
必要なものは多くはない、一つであると思います。感謝です。